でも,今日もバイトのお話。
今日は,世の中で「先生」と呼ばれる職種で,かつ同業者で組織している組合の一番上の方が御来店。
話のスケールそして,幅が広い。海外の宗教事情から,ミトコンドリアの話まで。興味の幅が広い。
前回御来店の,そちらも「先生」と呼ばれている方よりも,人が良い。
いろいろとお話を振っていただいたのだけれども,ついていけない…
そして,横には大将。
大将は自身が分からない話題であっても,うまくごまかしながら,話に乗っかってる。
「俺も話をしないと,これはやられるか」
と思いながらも,話がでてこない。
…
今日は素直にあきらめて,
「へ〜そうなんですか〜」
「勉強になります」
「わかります!わかります!」
「ということは,こういうことですか?」
と相づちに徹しました。
ちなみにお咎めはなし。
よかった〜
世に「先生」と呼ばれるような方でも,作業の機械化,高精度の機械の導入,同業者の増加,お客様の態度,常識の変化,そして自身の子供の対応(進学など)などで,多大な借金,多大な心労を患っているそうです。
彼らの標準というのは分かりませんが,彼らのポジションに行けば行ったなりの苦労がある。
もっと厳しい環境の人もいるのも事実。
だけど人間はそう簡単に理解はできない。
人間が感じる苦労とか辛さというのは,それぞれの,住んでる国,自身の地位や収入,人間関係があって,その環境の中で判断して感じるものだと思う。
ある人にとっては幸せに感じることも,ある人にとっては不幸に感じることはいくらでもある。
「先生」はひどく疲れていた。
第三者はどうすればいいのだろう。
大将は言ってた。
そのために居酒屋があるんですよ。って。
そのために私たちがカウンターに立っているんですよって。
「どんなお話でも私はお聞きしますよ。」
「次は何をお飲みになりますか?」
お客様は,約四時間ほど飲んで食べて,お帰りになりました。
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